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見送り幕 初披露!

2/19(金)の夜、大文字町の料亭 小六庵にて八日市町の新年会がありました。

町内会長の挨拶に始まり、その後五人衆が紹介されそれぞれの挨拶があり、市議会議員の高野哲郎氏による乾杯で開式となりました。

この新年会での目玉として『八日市町曳山 見送り幕披露』がありました。

正直、曳山八基の中で八日市町曳山の見送り幕はみすぼらしいものでした・・・

旧見送り幕

出来れば遠目でみてほしいとも思っていた上記写真の見送り幕が新調されたのです!

それが、これ!

見送り幕 披露!

どうですぅ!以前のものとは絵柄は変わりませんがすごく華やかでしょぉ

見送り幕 刺繍

刺繍はものすごく繊細かつ豪華です

見送り幕 金箔

両サイドにくる金箔の絵柄もすごく迫力があり、まるで有名作家の友禅の打掛を見ているようと思って見ていたら

やはり花嫁の打掛と同じものを使っているそうです。

市制70周年を彩るに相応しいものが出来上がったと思います

今年の八日市曳山はどんどん近くで見ていってやぁ!!


この目玉もあり、町内の方々からの応援もあり大いに盛り上がった夜となりました

当番長の大杉でしたぁ
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[ 2010/02/20 21:28 ] 八日市町の曳山 | TB(0) | CM(0)

こぼれ話 ①

最近は曳山の事を書いてないなぁと思いまして、久しぶりに書いてみます

八日市町の曳山に関してのこぼれ話が『むかしの小松』という本に書いてあります。



ずいぶん昔の事だと思いますが、

曳山に塗りと金箔張りをしたいのだが、誰が費用を出すかで何年も意見がまとまらないとの事。

八日市町曳山



金を出したくないのではない。

その逆で

『 私が金を出す!』

とみんなが言って譲らないのだと。

結局、五間堂屋次佐衛門が、うまく話をまとめたそうだが、

当時の小松商人の経済力って、すごかったんでしょうねぇ。・・・。



と、あります。

昔の方々は曳山子供歌舞伎が本当に好きだったんでしょうね。

今は娯楽や何でも楽しみ方が多様化しているのでしょう。

自分たちもこんな曳山の歴史などを知る事でもっとお旅祭りを楽しめるのかなぁと感じました。



当番長の大杉でした。






[ 2010/02/18 18:30 ] 八日市町の曳山 | TB(0) | CM(0)

お旅祭りと曳山

今日はお旅祭りと曳山の由来について書きます。

 お旅祭りは5月15日を中心とした3日間で、橋北の菟橋神社(お諏訪さん)と橋南の本折日吉神社(山王さん)の春季祭礼で両社の神輿(みこし)が神具や大獅子、多数の子供獅子を供として氏子の住む各町を渡御してまわるのでお旅祭りと言われています。

 この祭りで人気の中心は、なんと言っても曳山子供歌舞伎芝居であり、絢爛豪華な曳山の上できらびやかな衣装をつけた可憐な子供役者が浄瑠璃と三味線に合わせての熱演ぶりは、お旅祭りにはなくてはならないものであります。

 小松の曳山は、滋賀県長浜の曳山、埼玉県秩父の屋台と共に、日本三大曳山子供歌舞伎といわれ、全国でも有名であり、お旅祭りの華として小松の人々に親しまれています。

hikiyama-zennkei01.gif


 この曳山が建造されたのは、今から二百余年前の明和3年といわれ、文化年間までの50年間程の間に次々と曳山が建造されました。これ等の曳山は、当時那谷寺や天満宮を造った職人が小松に住んでいたので、長浜の曳山を参考にして、それよりもっと豪華なものに造りました。西町の曳山でその棟札が土蔵より発見され寛政2年同町の大工棟梁藤山清九郎の作であることが判明しました。

 明治6年にはそれまで4月15日の祭りが5月15日になりました。また日清・日露の戦捷講和の明治28年と明治39年には十ヵ町十基の曳山が全部揃って上演した時代もありました。

 昭和にはいってから2度の大火で惜しいことに二基の曳山を焼失して、現在の八町八基の曳山になり、その後大東亜戦争と戦後の長い空白時代を経て、昭和26年から二基ずつ交互に出演することになり今日に至っています。
 昭和40年にすぐれた建造物として、小松市文化財の指定を受けました。
[ 2010/01/28 18:38 ] 八日市町の曳山 | TB(0) | CM(0)

天井画

今日は前回の書き込みで紹介した 天井画 についてです。

八日市曳山天井画

この天井画は小松市高堂町の北村隆さんに依頼したものです。

縦1.2メートル、横1.8メートルで桐の板に金箔を施し、東西南北の四方位を守護している神獣の青龍・白虎・朱雀・玄武の四神が描かれています。

これらの四神は薬師寺・薬師如来像の台座にも印されている。

その中央に薬師寺(奈良)の松久保秀胤菅主が世界観を表す言葉である「日」「月」の二文字を筆入れした。


またいろいろ紹介していきますね!

当番長の大杉でした。



[ 2010/01/27 01:00 ] 八日市町の曳山 | TB(0) | CM(0)

八日市町の曳山

今日の内容は八日市町の曳山についてです。

八日市町曳山

立面図

構造は二重屋根で高さは6.57メートルで形が大きく均整がとれていて大変美しいです。

那谷寺の鐘楼を形どった唐門式の構造で、組手が良く、破風の扇垂木も特色があり見事である。

建造は寛政年間(18世紀末)である。

建造の記録・棟札は焼失し棟梁は不明であるが利常居城以来その構造からみて天満宮、那谷寺造営の名工の流れをくむ門弟が棟梁と思われる。

約50年後の天保年間に大修理が行われ、屋根・梁横板等に天保年号の記録の墨書きが見られる。

平成5年の大修理に続けて平成14年に2回目の平成の大修理を行い、さらに金箔張りで「日」、「月」の文字と「神獣四神」が描かれた天井を新調した。

上下屋根の組物、二重屋根の金色の櫓とで光の三重奏を奏で、舞台の上はまばゆいばかりである。

また今年の平成22年度には見送り幕も新調され、さらに豪華絢爛な八日市町曳山となる。
[ 2010/01/25 21:14 ] 八日市町の曳山 | TB(0) | CM(0)
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